西田辺の文化棚から 「写真処理-その理論と実際 -矢野哲夫 著」


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写真における名著とはなんだろう。カメラの機械が並べられた辞典、その概論、または作家やテーマによる写真集など、それぞれがそれぞれに名著の領域というものがあって、それぞれがそれぞれに評価に値している。そして、この「写真処理-その理論と実際 -矢野哲夫 著」についても、また名著として挙げられる一冊である。この本は、写真といえば現在ではデジタルが主流だが、フィルムだった時それらにまつわる化学の解説書が存在しているが、現在で言うところのイラレのリファレンス本や、WEBのCSS本に近い感覚かもしれない。写真処理、は、美大でグラフィックを専攻していれば、経験として撮影から現像、引き伸ばしまで、一貫したカリキュラムとして組まれている場合がある。ただ、それは専門領域を除き写真処理としては体験版に過ぎない場合が多い。実際の写真処理というのは、実験の末、導き出された薬品や数値によって制御されるべき化学なのだ。ただ、絵画の支持体や絵具といったものの物質や配合のニュアンスにとても近く、それは美術やアートの表現を支える為に特化した技術と知識でもある。または、そう言った高まりの中での化学とも言える。この本はアナログの写真術が技術的にもシーン的にも栄華を極めていたタイミングで出版(1978年)された貴重な一冊なのだが、単に方法論ではなく写真処理がいかに行われているか、という純粋な知識と写真処理における技術のすべてが其処に収められており、いかようにも応用が効くようになっている。おそらく、この先、フィルムが失われデジタルへの完全な移行を果たした際に失われてしまった技術を再現するのに使えるほど、その内容の充実ぶりと「専門性」の高さがこの本にはある。これから、写真を勉強する人や、それを教えている側が目を通すことがあるとすれば、何に基づいているかという点で写真という分野への信頼性の高まりを担保出来るし、社会全体の写真、またはそれに接する専門家に対する評価にも変化が生じるようにも思う。

アマゾン→ http://www.amazon.co.jp/dp/4320092104/ref=cm_sw_r_tw_dp_DR0Fwb0QVP5NX

ライター:fengfeeldesign(http://www.fengfeeldesign.org)

西田辺の文化棚から 「Steve Winwood / Steve Winwood」


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「Steve Winwood」は1977年に発売されたイギリスのロックバンド、Trafficのボーカリストの1stソロアルバム。6曲しか入っていないのでメディアによってはEP扱いをされていることもあるが、正直あまりこの人のこともTrafficのこともよく知らないので個人的にはどうでもいいと思っている。Trafficは60年代末から70年代にかけて流行った、当時のロックバンドにありがちな田舎のおじさんがトラクター乗って畑耕しながら作ったみたいな曲ばっかりやっていたバンドで(偏見)、それでも当時は英国出身で全米ナンバー1を取ったり、エリック・クラプトンとBlind Faithというバンドを結成したりするほどの人気バンドだったようである。実際レコードショップに足を運ぶと1枚100円のワゴンの中にすらそのアルバムを見かけることがあるので、おそらく当時としてはビリー・ジョエルばりに旋風を巻き起こす存在だったのだろう(レコード屋の100円ワゴンは名声の証である)。この作品はバンドが解散してから3年後に作られたアルバムで、ソロアルバムの話自体はプロデューサーのChris Blackwellに1969年頃から打診されていたものの、バンドの活動休止や再結成、解散など様々なゴタゴタに巻き込まれて制作が頓挫。何度かの録音メンバーの変更や音源自体の録り直しを経て77年の6月にようやく発売された。作品は全編ブライアン・オーガーやシンプリー・レッドのような、英国産ブルーアイドソウルの香りをふんだんに感じさせるアーシーかつ根暗な作風になっており、Steve Winwoodの魔女狩りの生き残りのような儚く寂しいボーカルが、抑え目ながらもファンキーで温かみのある演奏に支えられてルーツ感とはまた違う独特の侘び寂びを醸し出している。それには77年という、ディスコにいくには中途半端、モッズというにはやや時代遅れという時代性も大いに寄与しているようで、アルバムのプロデュースにも「カーペンターズが流行ってるし壮大なストリングスでも重ねてみよう」みたいな乗っかり感がなく、それがこのアルバムを特定の音のイメージから回避させることに成功しているようである。厳密に言うとそういったイメージもそこかしこにちらほらと顔を覗かせてはいるのだが、一度Winwoodのボーカルが音に乗るたび、そういったイメージがすべてセピア色の、侘び寂びの世界に退行してしまうのである。最近の「こち亀」を読んでいると、案外時代の流行を気にかけているネタのチョイスに初めこそ関心を覚えるものの、結局絵柄がいつものこち亀なので、読んだ感想も「いつものこち亀」になるという、あの現象によく似ている。(※アルバムのプロデューサーChris Blackwellはアイランド・レコード創設者、つまりレゲエを世界に広めた人なので、このアルバムのベースやドラムの音処理にもどことなくレゲエ風の空気感が漂っている。それもこのアルバムの”わびさび”に大きな影響を与えているのかもしれない)また、このアルバムがリリースされた77年という時代はクラッシュが『白い暴動』を出し、セックスピストルズが全盛期を迎えていたロンドン・パンク元年で、この人ももちろんイギリス人なのでリアルタイムでその現象に遭遇しているはずである。それでいてこの仕上がりはやはり存在自体が侘び寂びの人なのだろう。最後に音楽的なことを少し付け足して書くと、このアルバム全曲でドラムを担当しているAndy Newmarkと数曲でベースを担当しているWillie Weeksは名コンビとして知られているらしく、2人とも1曲目「Hold On」のイントロから素晴らしい演奏を聴かせてくれる。彼らの演奏を聴くためのアルバムといっても間違いではないだろう。

ライター:青のりしめじ(http://www.aonorishimeji.com)

西田辺の文化棚から「中島英樹」


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もともとこの人って、グラフィックデザインの世界では不良というか、正統派ではないが、ちゃんと仕事してる人ってイメージが強い。ある視点に基づけば90年代後半から2000年代前半あたりは、この人に太刀打ち出来る日本人のデザイナーは皆無だったようにも思う。今は時代の流れか、この人が今の感じを掴み取れてないのか、少し古典を感じずにはいられないし、そういう意味でも少し下火かなーという印象がある。ただ、そういう部分を差し引いたとして「リバイバル http://www.amazon.co.jp/dp/4947599685/ref=cm_sw_r_tw_dp_gArEwb0ECXRG6 」は、今見たとしても圧倒的な凄さカッコ良さを醸し出す完成された何かが掲示された本だと言える。後にも先にも、これほどにイメージ、というものに対してダイレクトに触れてくるタイポグラフィと写真、アートワークの距離感を体現しているビジュアルは他に類を見ないのではないだろうか。しばしばグラフィックデザイナーは新しいものだけではなく、過去、または歴史との関連性を気にしながら、その作業を行う場合がある。この中島英樹の仕事を見ていると、そのような枠から外れた、過去のからの継続における新しい目線を形にしている点で、見た目はファッションに溢れた造形だが、その奥底に眠るのは、まるで300年くらいの寿命があって、それをそのままデザインという目線で続けてきたかのような錯覚を覚えることがある。それはファッションとしてのカッコ良さに杭を打つような作業に非常に近いものを感じるし、まるで職人がの如く行っている様は、いわゆる、日本!サムライ!スキヤキ!に代表されるような「文化」的意識をデザインにキチンを持ち込んでいて、ひたすらにそれを精度の高い領域で繰り返しているのではないかと思うのだ。しかし、現在のデザインのシーンにおいて、少し対応仕切れていないようにも感じている。それは恐らく、見る側が客観視点において、物事を見るという視点を得たことに由来しているのではないかと感じていて、つまり、そう言った外郭のギリギリを突き進んだセンスだったものが同じ立ち位置に大勢が立ってしまい、その化学反応的なものが起きづらくなったのではないだろうか。その際、今、改めて「中島英樹」を見た時に古くなったと感じてしまうように思う。また、これは、デザインというものが、その概念ではなく、「人」が関与し、その寿命やパワーみたいなモノが関連しているとも捉えることが出来る。

ライター:fengfeeldesign(http://www.fengfeeldesign.org)

西田辺の文化棚から 「Sit Down Young Stranger / Gordon Lightfoot」


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「Sit Down Young Stranger」は1970年にリリースされたカナダのシンガーソングライター、Gordon Lightfootの6枚目のアルバム。Randy Newmanがアレンジャーとして参加している。収録曲の「If You Could Read My Mind」がヒットした為、そのタイトルでもリリースされており、Apple Musicではそちらの名義で登録されている。全体的にこじんまりとしたこの時代特有のシンガーソングライターのアルバムといった仕上がりで、これといった特徴もないのだが、その無個性でいつでも聴けるあっさりとした70年代感が今の肌寒い季節にちょうど良い。Gordon Lightfootの歌声は中音域のバリトンで、少し翳りはあるものの暗さよりは穏やかさの方を感じさせる。歌い方も丁寧で、かといって心の底から感動するほどクオリティが高いわけでもない点にも好感が持てる。作品としてめちゃくちゃクオリティが高いわけでもなく、後半に行くに従ってだんだんと曲調に統一感がなくなっていくタイプのアルバムなのだが、その点もいかにもこの時代の作品っぽくて味わいがある。調べてみるとA面とB面で主要なアレンジャーが違っていて、A面の曲はほぼRandy Newmanがアレンジを担当しているのだが、それがB面ではNick DeCaroに変わっている。このアレンジの微妙な雰囲気の違いがアルバムの統一感を無くしている。A面はLeonard Cohenと「Nashville Skyline」のBob Dylanを足してNeil Diamondで割ったような世界観なのだが、そこにB面になった途端カーペンターズかなんだかよくわからない凡庸さが入り込んでくる。中でも雰囲気を壊しているのがヒット曲の「If You Could Read My Mind」のアレンジで、この曲にだけ入っている少し喧しめのオーケストラが、それまでギターと歌でしみじみ聴かせてくれていた雰囲気を次は「Yesterday Once More」なのか?くらい崩してしまう。またB面は「If You Could Read My Mind」のシングルのカップリングみたいな曲も多い。しかし聴きやすさという点から考えると地味なアルバムにちょうどいい起伏ができているとも言え、この辺りは好みの問題なのかもしれない。いずれにせよこのような音楽に聴きなじみのない人が聴いたら全曲同じに聞こえるアルバムであることは間違いないだろう。決して名盤とも言えない作品なのかもしれないが、この全体にみなぎっているGordon Lightfootとかいう人の風情がいい作品である。A面2曲目のクリス・クリストファーソン(『沈黙の断崖』のラスボスの人)のカバー、「Me And Bobby Macgee」が◎。

 

 

ライター:青のりしめじ(http://www.aonorishimeji.com)

西田辺の文化棚から「アイデア 276」


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当時のアイデアはグラフィックデザインをシーンとして扱っていました。日本と世界をバランス良く配してとても読み物として充実している印象がありました。正しさ、なんてよりもグラフィックデザインの胸が高まる内容になっていたように思います。今はなんというは、アーカイブ感とノスタルジーが漂っている印象がとても強い。まとめられた何か、ではなくて、その創作が、形にした理由が知りたい時代でもあったんだなあと思います。そういう意味で冒険していたとも言えるし、これに比べれば今はちょっと守りに入ってるかなという印象です。276といえば1999年です。携帯電話が主流になり始めている頃、まだインターネットがISDNで、アンゴルモアの大王が世界が滅ぼすと信じられていた、そう、あの、いにしえの時代です。特集は日本人では中島英樹、葛西薫、横尾忠則、大竹伸郎が揃い踏み、海外もディラン・ケンドルといった、TOMATO大流行だった潮騒を掬い取った内容となっています。CDのジャケットをまとめる事で、未来を予感させて、サヴィニャックをアーカイブする事でその均衡を保つ、みたいな、なんとも読者に媚びない入魂雑誌に仕上がっています。まあ、デザインそのものは時代を感じるし、ちょうど、MAC以降、以前みたいな感じで、まだまだそれらが二分して、以前が居なく無くなり始めてドキドキしていた感じが全体で出ています。日本では広告デザイン、雑誌デザインが、まだまだ元気な頃だし、そういった無駄なパワーというか雑誌を手に取る人たちだけが主役じゃないんだ!という気概に溢れているのはとても伝わってくるし、旧式アイデアで出来る事を全てやったという感じでしょうか。もしくは、旧式のアイデア方式では掬い取れない何かを感じさせる一冊のようにも思います。これ以降、かなり雑誌としての変貌を遂げていく事になりますし、どんどんと内容が詰まった分厚いカタログのようなものになっていく話は置いといて、それくらい内容が薄く、1つ1つの特集がとても短いし、なんかグラフィックデザインかっこええええ、を全力で謳歌出来る一冊でもあります。でもまあ、この号に掲載されているグラフィックデザインには説明が不要なくらいパワーがあるって事なんだろうけど、または当時はそういうものが評価されていたんだよなあ。ADCだって、TDCだって、今よりも存在感があったし、作ったものへの、そのビジュアルへの信頼感というか、要素のシンプルな感じとかも含めて、だってほら、今ってなんでもゴッタ煮感が凄いじゃないすか。この時を継承してるグラフィックにしても、なんかもう悲しくも、素直じゃない、なんか変化球効きすぎだろ、ていう方向にシフトしているし、そうじゃないにしろ、この時よりも、なんともフニャリとなるものが多くなっている、と、この時を基準で喋るとそうなっちゃう感じはあります。それくらい、今と比べても、そのグラフィックの質の差があると思います。やっぱ、グラフィック、ビジュアルへの信頼感の一冊、という一語に尽きるかなあ。

 

ライター:fengfeeldesign(http://www.fengfeeldesign.org)