もともとこの人って、グラフィックデザインの世界では不良というか、正統派ではないが、ちゃんと仕事してる人ってイメージが強い。ある視点に基づけば90年代後半から2000年代前半あたりは、この人に太刀打ち出来る日本人のデザイナーは皆無だったようにも思う。今は時代の流れか、この人が今の感じを掴み取れてないのか、少し古典を感じずにはいられないし、そういう意味でも少し下火かなーという印象がある。ただ、そういう部分を差し引いたとして「リバイバル http://www.amazon.co.jp/dp/4947599685/ref=cm_sw_r_tw_dp_gArEwb0ECXRG6 」は、今見たとしても圧倒的な凄さカッコ良さを醸し出す完成された何かが掲示された本だと言える。後にも先にも、これほどにイメージ、というものに対してダイレクトに触れてくるタイポグラフィと写真、アートワークの距離感を体現しているビジュアルは他に類を見ないのではないだろうか。しばしばグラフィックデザイナーは新しいものだけではなく、過去、または歴史との関連性を気にしながら、その作業を行う場合がある。この中島英樹の仕事を見ていると、そのような枠から外れた、過去のからの継続における新しい目線を形にしている点で、見た目はファッションに溢れた造形だが、その奥底に眠るのは、まるで300年くらいの寿命があって、それをそのままデザインという目線で続けてきたかのような錯覚を覚えることがある。それはファッションとしてのカッコ良さに杭を打つような作業に非常に近いものを感じるし、まるで職人がの如く行っている様は、いわゆる、日本!サムライ!スキヤキ!に代表されるような「文化」的意識をデザインにキチンを持ち込んでいて、ひたすらにそれを精度の高い領域で繰り返しているのではないかと思うのだ。しかし、現在のデザインのシーンにおいて、少し対応仕切れていないようにも感じている。それは恐らく、見る側が客観視点において、物事を見るという視点を得たことに由来しているのではないかと感じていて、つまり、そう言った外郭のギリギリを突き進んだセンスだったものが同じ立ち位置に大勢が立ってしまい、その化学反応的なものが起きづらくなったのではないだろうか。その際、今、改めて「中島英樹」を見た時に古くなったと感じてしまうように思う。また、これは、デザインというものが、その概念ではなく、「人」が関与し、その寿命やパワーみたいなモノが関連しているとも捉えることが出来る。
ライター:fengfeeldesign(http://www.fengfeeldesign.org)
